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<戦後70年の真実>神道の命運左右した「視察」 GHQに新嘗祭見せよ…占領政策から神社守った宮司の戦い-海外旅行自力旅 [海外情報・ニュース・世界情勢など]

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視察団を前に、本殿で「浦安の舞」を奉納する山口文治宮司の娘ら=昭和20年11月25日、埼玉県所沢市(中氷川神社提供)
出典:http://www.sankei.com/




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出典:http://www.sankei.com/


神社を破壊すべき」過激意見もあったGHQ

 「3日後に、新嘗祭を総司令部の係官に見せてほしい」。同年11月22日、中氷川神社の山口文治宮司=当時(60)=は、突然来訪した内務省神祇院考証課の宮地直一課長=同(59)=からこう告げられた。

 当時、神道は「国家神道」として優遇され、宗教ではないとみなされていた。一方、日本の非軍事化・民主化を進めていたGHQ内 では、天皇を頂点とした精神的な団結力が日本人を戦争に突き動かしたという考えから、日本人の精神的改革のため「神社を破壊すべきだ」という過激な意見も あった。教育・宗教を所管した民間情報教育局(CIE)は神道に対する日本人の考え方を知ろうと靖国神社(東京)を視察。さらにケン・ダイク局長は、 CIE顧問を務めていた宗教学者、岸本英夫氏=同(42)=に「どこか民間の神社の祭りを見たい」と希望を出した。条件は「11月25日、場所は司令部か らジープで1時間以内」だった。


神主苦悩「万が一あれば累は全神社に及ぶ」

  宮地課長を通じて白羽の矢が立ったのが、中氷川神社だった。現在の朝日達夫宮司(67)は「社格制度で県社として認められていたことや、宮地さんが神社を 訪れていたことで選ばれたのではないか」と推察する。その宮地課長は「万一、悪い印象を与えれば全神社の浮沈にも関わる。そういう事情をくんで、どうか引 き受けてほしい」と頼み込んだ。

 辞退したものの、押し問答の末に視察を受け入れた山口宮司は、手記で「軽々しく引き受けられるものではなかった。万一のことがあれば、自分の身はどうあれ、その累は全神社に及ぶのだ」と苦悩をつづった。
 「新嘗祭を3日で準備するなんて、常識じゃ考えられない。ましてや『鬼畜米英』と恐れられた時代です」と、朝日宮司は先代の決断に思いを馳せる。

 「祭典に関しては誰も絶対に口出しはしない」。それが山口宮司の出した条件だった。「命がけで奉仕するのに、いちいちだめ出しをされたら到底務められない」。決意の下に、氏子総代や家族を巻き込んだ嵐のような3日間が始まった。


「外国人正座できない」食材集めに奔走も

 連合国軍総司令部(GHQ)の視察を引き受けた中氷川神社(現所沢市)の山口文治宮司=当時(60)=は、すぐに地域の氏子総代を集めて事情を説明し、新嘗祭の準備に取りかかった。

  戦後の困窮の中で、お供え用の野菜や魚は氏子らが持ち寄り、酒は国の機関である神祇院などから提供されることになった。「外国人に正座はできないだろう」 と、戦時中、境内に滞在した陸軍通信隊が残した机を直会(なおらい)の会場に並べた。外国人用の仮便所も作った。つい先日まで「鬼畜米英」と呼んだ相手を もてなすため、人々は奔走した。


「娘たちにいたずらされたら…」

 難題は、舞姫だった。

  新嘗祭に奉納舞は欠かせない。しかし、「娘たちにいたずらでもされたら大変だ」と誰もが怖がった。「そこで山口姉妹の出番だったんです」と笑うのは、山口 宮司の四女、平野順子さん(75)だ。5歳だった平野さんは、4人姉妹の姉が踊ったのを覚えている。社務所に疎開していた宮内省楽部の多(おおの)忠朝楽 長=同(62)=の娘も舞姫にかり出された。

 迎えた昭和20年11月25日。ジープで乗り付けた民間情報教育局(CIE)の一行は、出迎えの町長らに機嫌良く日本式の礼を返した。怖いもの見たさか、神社には町中の人が集まって視察の様子を見守った。







酒を「飲んだふり」で必死のもてなし

  拝殿で行われた奉納舞では、多楽長が呼んだ宮内省の楽人の演奏と立派な装束が娘たちをあでやかに演出した。「ワンダフル」。視察を担当したCIEのケン・ ダイク局長らはCIE顧問の岸本氏の説明に興奮した様子で、祭典の様子を写真に収めた。一行は直会で用意された赤飯や煮魚をきれいに平らげ、大きな湯飲み で酒を何杯も飲み、氏子らは飲んだふりをして少ない酒を回した。

 視察を終えて車に乗り込む際、一行の1人が平野さんを抱き上げた。日本人側に緊張が走った。が、ドロップやガムを渡すと優しく 抱き下ろし去っていった。「父は私が泣いたら終わりだと思っていたそうです」。幸い、幼児は笑顔で一行を和ませた。岸本は手記に「歓を尽す。司令部側に対 して、よき知識を供給」と記している。
ファシズムの施設と全く違う」

 約3週間後の12月15日、発令された神道指令は政教分離を徹底させたが、神社の取り壊しといった日本人の精神文化の破壊には踏み込まなかった。

 国学院大の大原康男名誉教授(宗教行政)によると、発令までにCIEが視察したのは靖国神社と中氷川神社だけで、「厳かで優雅な神社の祭典を視察して、ナチズムやファシズムといった全体主義的な施設とは全く異なるものだと実感したのだろう」と視察の影響を指摘している。

 神道指令  昭和20年12月15日、GHQが政府に対して発した指令「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」の略称。 ポツダム宣言で認められた「信教の自由」を前提に、政教分離を目的として出された。神社を国が管理する「国家神道」を廃止し、神社は宗教法人として存続す ることになった。


◆ ◆ ◆

日本の支配を公然と行ったGHQの記録を読むたび、なんと愚かな戦争をしたのだと悲しい気持ちに苛まれます。
二度と無価値な戦争をしてはいけないと思います。

そうでないと再度負ければ日本から「心を持たぬ何を考えない者」によって、今度こそ日本の全てが破壊されかねません。
今現在の日本が姿がかつてどれほど崇高だった物を失ったかを考えると、もう暴走してアメリカの計略にのって戦争状態になってはいけないのだと気付かされます。

この事は絶対に忘れてはいけない歴史だと思います。

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出典:http://www.sankei.com/










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